10月10日より池田健二氏が同行する「アラゴン・ナバラロマネスクの旅」に添乗してまいりました。
行程中、全部で29か所のロマネスク教会と4か所のロマネスク関連の美術館や城や史跡を見学しました。内10か所の教会は普段は開いていないことから、事前に連絡をとり、鍵を持ってきてもらって入るというロマネスクの旅ならではの見学でしたが、それらの教会すべてで、ほぼ時間通りに開けてもらうことができ、見学に関してはほぼパーフェクトの旅となりました。
かつてのスペインロマネスクの旅から随分進化したものだと感心しました。訪れた教会の中には、ロマネスク美術の重要な彫刻やフレスコ画のある教会もありましたが、ここは私の独断で、ロマネスク5選として記憶に残ったところをご紹介します。なお、訪れた順で紹介します。
快晴の澄み切った空の中、セラブボ渓谷のロマネスク教会群へ
旅の3日目、ウエスカより北へ進み、遠くにピレネーの山並みを見ながら高速道を北上し、ピレネー山麓にあるラレデ村へ。この辺りはセラブボの谷と呼ばれ、モサラベとロンバルディア様式が混在した独特の教会が12も点在するどうです。
早速ガイドさんから、セラブボにある教会群の説明を受けました。池田先生の解説によりますと、イスラム文化の影響を受けたモサラベと教会自体の建築がロンバルディア様式で、どうしてこうした混合した様式があるのかはっきり解明されていないそうで、それも興味を引きます。
まず、最初にサン・ペドロ教会(下左)へ。山々を背景に丸みを帯びた後陣と四角形の鐘楼は朝の光を浴びてくっきりと姿で私たちの前に建っていました。
教会堂内を訪れた後、そこからすぐのところにあり、ちょっと風変わりな屋根を持った初期ロマネスクのブサのサン・ファン教会を見学しました。
単身廊の小さな教会堂ですが、窓はモサラベ様式で、中に入って見上げれば、馬蹄アーチの窓がはっきりとわかり、後陣の外壁装飾はサン・ペドロを同じで、セラブボ・モサラベ様式であることがわかります。そして、されに興味を引くのは扉口の上部にアラビア文字の銘文が刻まれていることで、これだけ顕著にイスラム風が表現された教会を見たことがありませんでした。もう少し待って、教会に日が差すのを見たい気持ちを残して、先を急ぐことにしました。
午後の光の弱まった頃、サン・ファン・デ・ラ・ペーニャ修道院へ
この日の午後、ハカの見学の後、旅のハイライトでもあるサン・ファン・デ・ラ・ペーニャ修道院へ向かいました。池田先生のお考えもあり、麓にあるサンタ・クルス・デ・ラ・セロス村を先に訪れました。
村の入口にあるロンバルディア帯の装飾のあるサン・カプラシオ教会を見学し、村を自由散策の後、天上へと伸び上がっていくようなサンタ・マリア教会へ。
少し、日が少し陰り始めた頃、バスで山を登り、修道院の入口でバスを降り、修道院へ向かいました。
もう、訪れる人もまばらで、また、日の光の具合もちょうどよい時で、まず、モサラベ+ロマネスクの地下のクリプトを訪れ、上に戻り、最初にアラゴン貴族の霊廟があり、クリスマや紋章が刻まれ、この地がアラゴンきっての霊場であったことを物語っています。
そして上の教会を抜け、馬蹄形アーチの扉口を抜けるとかの有名な岩壁の下の回廊に出ます。
この旅でも各地で「ペーニャのマエストロ」の作品を見てきましたが、ここが本家本元。目元が大きい独特の柱頭彫刻を聖書の物語に従って丹念に見て歩きました。テーマは25あり、その中でも私の好きなヨセフのお告げやカナの婚礼やラザロの復活の場面がこの限られた空間に表情豊かに詰まっているを眺め、とても感動をしました。今日は本当に中身の濃い一日となりました。
星に輝く巡礼の街エステーリャで観たサン・ペドロとサン・ミゲル教会
スペインの巡礼路で最も知られた街のひとつプエンテ・ラ・レイナを後にして、高速を使ってエステーリャへ向かいました。巡礼者であれば、一日かけて歩く距離を高速道路でものの10分、エステーリャに到着。街の中心にあるバスターミナルにて下車。とてもりっぱなターミナルだったので、ガイドさんに伺ったところ、約50年前までエステーリャとビトリアを結ぶ狭軌路線のバスク=ナバーラ鉄道が走っていたそうで、ターミナルはその駅舎であったそうです。
そこから歩いてエブロ川の支流エガ川を越えたところにマルティン広場があり、12世紀のナバラ王宮、そして向かいの高台にはサン・ペドロ・デ・ラ・ルア教会がありました。
教会に向かう斜面は緩やかな階段となっていて、そこをまるで天国に繋がっているようで、一歩一歩上がって行きました。
イスラム風のアーチを潜り抜けて教会堂、そして回廊へと向かいました。回廊の北と西の二辺が残り、キリストの物語が彫られていました。よく見ると未だ、色が残っているものもありました。
また、中央の中庭には深紅のバラが咲き、旅の疲れを癒すひと時ともなりました。
その後、旧市街を歩き、やはりこれも高台にあるサン・ミゲル教会を訪れました。この教会はサン・ペドロ・デ・ラ・ルア教会より後に創建されました。ロマネスク末期からゴシックの始まりを感じさせるアーチ、掘りの深い彫刻が見受けられ、これまでロマネスク教会を見続けてきたこともあり、とても新鮮味がありました。
さらに旧市街を歩いて町の中心の広場と巡り、昼食へ。エステーリャは過去2度ほど来ておりましたが、今回のように街をじっくり歩いたのは初めてで、人口1万5千人の街とは思えないほどの風格と街並みで、滞在したくなるような素敵な町でした。
古代が再生されたロマネスク サンタ・マリア・デ・アルコス教会
今日は、予定を変更して朝一番で、ナバレーテの町外れにあるかつての救護所(今は墓地の入口にファサードが移築されている)を訪れました。ロマネスクのキリストや天使や怪物の彫刻を鑑賞していると、ちょうどその前が巡礼路のルートに当たるらしく、リュックを背負い、サンチャゴ貝をぶら下げ、杖を持って歩く巡礼者たちが何組も通り過ぎて行きました。その中に、犬を連れたカップルの巡礼者がいました。確かここからサンチャゴまで3週間以上かかるはずですから、そうとは露知らないワンちゃんが、余計なお世話ですがとても気の毒に思われました。
さて、ナバレーテを後にしてトリシオへ向かい、小高い丘に築かれた街から遠く離れたところに墓地教会サンタ・マリア・デ・アルコス教会がありました。
ちょっと約束の時間より早く着いたので、鍵番の方が来るのを待って教会堂に入りました。外観は普通のどこにでもありそうな教会でしたが、中に入ると想像もつかない古代ローマの円柱で構成されたスタイルで、驚きました。イベリア半島では、ローマ時代の石材を再利用して西ゴートの教会やモスク(コルドバのメスキータ)に転用された例はいくつか見て知っていましたが、ここほどまでに古代ローマだとすぐにわかる教会は初めてでした。
内陣のこの石柱群で構成され、床は剥がされていて、石棺がむき出しになっていました。古代ローマ時代のものなのか、それとも後世の石棺なのかは定かではありませんでしたが、その雑然とした様子もあって、この教会が特異なものであることを実感しました。一部、壁が剥がされ、ロマネスクのフレスコ画も残っていましたが、ほとんどガイドブックにないこのような教会がスペインにはまだまだゴロゴロとあるのかもしれません。そのスペインの奥深さに思いを馳せながら後にしました。
元は隠修士が籠って祈った山奥深い地が、後世巨大修道院となったサン・ミリャン・デ・コゴーリャ
そこから山間の僻地サン・ミリャン・デ・コゴーリャへ。5世紀に隠修士ミリャンが隠棲したところで、ミリャンの墓を核とするスソ修道院と11世紀になって聖ミリャンの聖遺物を麓に移し、そこから時代を経て巨大な建造物となったユソ修道院を訪れました。
この日は月曜日のためユソ修道院はお休みで、一般の訪問者は、宝物殿や図書館は締まっているため、来る人もまばらでした。それが幸いしてか山中にあるスソ修道院は私たちだけでの見学となりました。早速、ミニバスに乗り込んで10分ほど山道を登って行くと、スソ修道院に到着。
ミリャンが隠棲した洞窟に立てられた10世紀のモサラベ様式の教会がよく残っています。それは、11世紀になるとミリャンの聖遺物が麓に移され、ユソ修道院が新たに創建されたため、その後、スソ修道院は放置され、ほぼ10世紀のモサラベの教会が原形のまま残ったようです。
ミリャンが住んだ洞窟が奥にあり、その前はボルトを支える馬蹄形アーチがリズミカルに支え、彫刻類はない、とても素朴な感じが心地よい空間を醸しだしていました。
余韻に浸っていると遠くから次のグループの声が聞こえ、麓へと戻りました。ユソ修道院前で降りると、赤い実をつけたヒイラギがお出迎えしてくれました。
今回の旅の講師、池田健二氏は美旅サイトにて隔週でロマネスク写真館を投稿しています。
また、旅の講座の「旅の学校」を月に1回開催しております。
ご興味ある方は是非お問合せください。