慶大講師・志村真幸氏同行解説 知の巨匠南方熊楠の足跡と熊野古道への旅┃ツアーレポート

「慶大講師・志村真幸氏同行解説 知の巨匠南方熊楠の足跡と熊野古道への旅」の添乗員レポートをお届けいたします。

9月20日から2泊3日で、和歌山県田辺市から熊野古道を通り、紀伊半島をぐるっと巡る旅へ行ってきました。

旅の目的は、江戸末期に生まれ、明治、大正、そして戦前の昭和に活躍した知の巨人・南方熊楠の足跡を訪ねためでした。南方熊楠は、生物学、民俗学の分野で活躍し、近年では神社林保護に取り組む、「エコロジーの先駆者」としても注目を浴びています。

最近、NHKの朝ドラ「らんまん」でも、主人公牧野富太郎と熊楠のエピソードが取り上がられ、覚えていらっしゃる方もおられるかと存じます。いずれにせよ、まだ、森林保護などなかった時代に先駆けてこうした運動を繰り広げ、また、晩年は心霊研究まで膨大な著書を残しました。たいへん偉人としても興味深い人物です。

今回は、熊楠研究の第一人者である志村先生の解説の下、熊楠が生まれ育った田辺、 そして多くの影響を与えた熊野古道を訪ねました。

田辺市にある熊楠ゆかりの地巡り

まずは、市で最も由緒ある高山寺にある南方熊楠のお墓参りへ(写真右)。

その後、熊楠が住んでいた家とその隣に造られた南方熊楠顕彰館を訪ねました。熊楠の家では母方の血筋を引く橋本邦子さんから懇切丁寧な説明をいただき、また、住居に隣接する南方熊楠顕彰館では、熊楠の書物や研究対象となった植物学や民俗学の展示を鑑賞。

志村先生からレクチャーがあり、おぼろげな がら、熊楠の生涯を知ることができました。

豊かな海の幸を満喫

ちょっと余談ですが、田辺の沖合は豊かな漁場となっており、昼食は白浜町にある海鮮料理屋にてアワビの焼き物から地魚の三種盛りの御膳(写真)をいただきました。

また、夕食はホテルのレストランにてエビや太刀魚、ホタテ貝のグリル と食もたっぷり楽しみことができました。

聖なる神島

第2日目は、ホテルのテラスから沖合にある神島(かしま)を遠望。

この島の最高所には海上鎮護の神を祀った神島神社が鎮座し、漁民は島の樹叢を魚付き林として大切にしてきました。

熊楠は、約40年にわたって神島に生育する菌類・粘菌類・高等植物等の調査研究を行い、長く諸人の崇敬を集めてきたことが神林の生息生物の中に他所にはない希少種を生む結果を生んだことを指摘しました。

後に、合祀により神島神社の神林は伐採の危機を迎えましたが、熊楠を中心に村民が協力して保存活動に奔走し保安林指定により保存が実現しました。

日本の原風景を感じる田中神社 

次に田中神社を訪れました。民俗学者・柳田國男が「日本特有の風景」として、熊楠は「熊野三景の一つ」として、それぞれ評価しました。

合祀後も神林だけは残すべしとの熊楠の助言に従い、周辺村落の氏子たちは神林を伐採せずに守り続けました。

小さな境内にはクスノキの巨樹やふじなどが叢生し、平坦な水田地帯にあって象徴的な神林の景観です。

中辺路の滝尻王子から不寝王子まで雨の中を歩く

意を決して、激しい雨の降る中を、古道中でもかなり急斜面が続く滝尻王子から不寝王子まで歩きました。途中、何組者外国人旅行者で出会い、その急な勾配とぬかるみの中、かなり難儀をしていました。

私たちは時間の都合上、一区間(王子から王子※王子とは神社のような祠のある場所で巡礼者の目印ともなった)だけでしたが、かなりハードでした。途中、胎内くぐり(写真右)や、巡礼者が出産をした乳岩など味わうところもありましたが、実際はそれどころではなく、只々地面を見て転ばないよう前に進むので精一杯でした。

神々しい高原神社と霧の里熊野の山里

再び、滝尻王子に戻り、バスで山中にある高原熊野神社へ。どこの若者たちでしょうか。あの険しい道を歩いてこの神社にやってきていました。熊野古道沿いの神社では現存最古のもので、境内には、樹齢1000年といわれる楠の大木などもあります。ここは、朱塗り檜皮葺、春日造の社殿がとても印象的でした。とても整った渦巻きのカタツムリは、神社のお守りでしょうか。

そして神社の近くには休憩所があり、「霧の里」とありました。「霧の里」からは、果無(はてなし)山脈が一望にでき、 奥深い熊野の山々と美しく整えられた棚田、そしてあぜ道に咲く彼岸花の風景に疲れも吹き飛ぶほどの美しさです。

かつての大社があった大斎原と日本のこころ熊野本宮大社

今日の最後は、熊野三山の一つ熊野本宮大社へ。大社の前に、かつて社殿が建っていた大斎原へ。かつてここにあった本宮大社も明治大洪水で多くが失われ、残った社殿が高台(現本宮大社)へ移りました。

大斎原は、雨上がりもあって、より緑が映え、見事なクスノ木がかつてここに社殿があったことを思わせます。 そして、百数十段の階段を上がり、本宮大社へ。

ここが発祥地。お馴染みのサッカー日本代表のマーク八咫烏

熊野本宮大社のシンボルは八咫烏。熊野の神様のお使いとされ、これもサッカー日本代表のシンボルマークにもなっています。

社殿の手前でこの八咫烏が上に乗っかった郵便ポストを発見しました。 黒いポストを見たのは初めて、何ともユニーク。

川の変貌に驚き!!

最後の見学を終え、今夜の宿泊地川湯温泉へ。この温泉は川床からお湯が沸くことで知られ、河原の石と取り除いていくと温泉がわき出し、至る所に簡易温泉があります。

この日は早速、河原にある露天風呂へ。ちょっとまったりした泉質の温泉で温まりました。

ところが夜中中、大雨が降り(和歌山には線状降水帯の注意報が発令されていました)、翌朝、起きた時には、露天風呂にまで濁流の水が入り、前日とは全く違って形相となっていました。

上流での豪雨が一気に水かさを増したようです。旅館の方に伺うとよくあることとか。慣れない私たちには気が気ではありませんでした。

那智山 熊野那智大社と迫力満点の那智の大滝

今日も朝から30度を超え、厳しい暑さとなりました。最終日は、熊野三山の一つ熊野那智大社へ。

熊野川の雄大の流れを車窓から眺め、紀伊半島の東側へと進み、新宮へ。ここにも熊野三山の一つ熊野速玉大社があり、時間があれば、寄って行きたいところでしたが、熊楠の旅でもあり、ゆかりの地がある熊野那智大社へと向かいました。長い長い4百数十段の階段を上ると青岸渡寺に出ます。上に上がるとそこは外国人観光客で一杯。賑やかな台湾からの団体、汗をふきふき上ってきたちょっと太めのアメリカ人夫婦と、外国語が飛び交っていました。

最初に西国一番札所の青岸渡寺から、赤の三重塔と遠くに昨夜の雨で勢いよく落ちる那智の大滝という絶好のシャッターポイントから一枚。そして寺の奥へと進むと、鮮やかな朱色の社殿・熊野那智大社。昨日観た本宮大社と打って変わって派手な色彩でありながら、気品の高さを感じさせる見事な朱色に改めて感心しました。

そして、大迫力の那智の大滝。落差133メートルで、日本三大瀑布の一つです。昨日の大雨で一段と水量を増し、滝に近づけば、その迫力に圧倒され、自然の驚異という思いを感じさせます。

聖なる那智山を後にして、途中、大門坂を過ぎました。この門のほど近くに、熊楠が長期滞在した大阪屋旅館(今はその計先は残っていません)がありました。そこで、精力的に植物調査をおこなったといいます。

そして那智勝浦市に降りて、補陀落山寺へ。平安時代から、海の向こうへ渡る者は補陀洛渡海として観音浄土である補陀洛山へと那智の浜から小舟で旅立ったと言われ、その模型が展示(写真)されていました。

天気も良くなる中、紀伊半島を半周して再び白浜から空路、東京へと戻りました。南方熊楠の時代を超えた人物像に触れ、古来からの信仰の地熊野を堪能した旅でした。紀伊半島の串本町で橋杭岩という珍しい景観(写真)に出会いました。

いかがでしたでしょうか。

ご参加のみなさまからは帰着後、嬉しいご連絡をいただき感謝申し上げます。

是非旅に出ませんか?

美旅では、テーマに特化したオリジナル企画のカルチャーツアーや専門講師が同行し、テーマに沿った解説と関連する見学個所を訪れるツアーを行っています。

みなさまのご参加をお待ちしております。

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