池田健二氏のロマネスク写真館10回目の投稿となります。
池田健二氏が撮った美しい写真と解説をどうぞお楽しみください。
第10回のテーマ-「ロマネスクの木彫の聖母子像10選」
12世紀は聖母マリアへの崇敬が急速に高まった時代でした。ロマネスクの浮彫にも壁画にも、聖母の姿はしばしば表現されています。
「受胎告知」に始まるイエスの幼少期の諸場面でも、物語の主人公は聖母マリアでした。
なかでも「マギの礼拝」で玉座に着いて幼児イエスを膝に抱く聖母マリアの姿は、やがて「荘厳の聖母」として独立し、タンパンや後陣半円蓋など、教会の重要な場所に描かれ刻まれるようになります。
同じ時代、彩色を施した木彫の聖母子像もロマネスク世界の各地でさかんに制作されていました。そうした聖母子像は、教会の内陣や後陣に安置され、人々の崇敬の対象となっていたのです。
今回のロマネスク10選ではブルゴーニュやオーヴェルニュで出会う木彫の聖母子像の傑作を紹介します。
その面差しの違いがよくわかるよう、顔をクローズアップした写真を選びました。神聖でありながらも個性に富んでいる10人の聖母マリアとの対面をどうぞお楽しみください。
1.ディジョンの「善き望みの聖母」
ブルゴーニュの州都ディジョンのノートルダム教会の南後陣に祭られている聖母子像です。膝に抱いていた幼児の像は失われてしまいましたが、「善き望みの聖母」の名で今も市民から篤く崇敬されています。もともとは顔の黒い「黒マリア」として知られていましたが、修復と洗浄を行ったところ、現在の肌の色が現れました。長いアーモド形の顔の輪郭と、同じ形の大きな目が印象的な、深い神聖さを秘めたマリア像です。
2.トゥールニュの「褐色の聖母」
南ブルゴーニュのトゥールニュに、初期ロマネスクの傑作、サン・フィリベール教会があります。その南翼廊の一画にこの聖母子像が安置されています。「褐色の聖母」の名で呼ばれていたとのことですから、このマリア像の顔も蝋燭の煤で黒ずんでいたに違いありません。現在の美しい彩色は近年の修復によるものです。ロマネスクのマリア様としては珍しく現代的な美人で、亡くなった女優の田中好子さんを思い出します。
3.サン・サテュルナンの聖母子像
オーヴェルニュのサン・サテュルナンの村に同名のロマネスク教会があります。その教会の内陣の入口にこの聖母子像が置かれています。オーヴェルニュは木彫の聖母子像の制作が盛んだった場所で、今も数多くの像が保存されています。この聖母子像は12世紀末の作とされていますが、近年の修復で再塗装され、生命感を取り戻しました。このマリア様、愛子様に似ていると思いませんか。幼児も母親そっくりです。
4.オルシヴァルの聖母子像
オーヴェルニュのオルシヴァルは聖母巡礼の地でした。ノートルダム教会の内陣に置かれた聖母子像に祈ることが巡礼の目的だったのです。木彫の聖母子像なのですが、真鍮製の衣とヴェールを纏っています。中央山塊の周辺では金属の加工も盛んでした。このマリア様の顔は右と左で印象が異なります。写真にある左側が深い神聖さを秘めているのに対し、右側は人間らしさが強調されているように感じられます。
5.ヴォークレルの聖母子像
オーヴェルニュのモンピローズの村のサント・フォア教会に保存されている聖母子像です。もとは近くのヴォークレール礼拝堂にあったので、今も「ヴォークレールの聖母」の名で呼ばれています。オーヴェルニュ的なドレープを持つヴェールと衣を纏った聖母ですが、その強い目と引き締まった表情に特徴があります。やはり修復前は「黒マリア」だったようで、アンティオキアから渡来したとの伝説があります。
6.ムーサージュの「クラヴィエの聖母」
オーヴェルニュの東部、ムーサージュのサン・バルテルミー教会の聖母子像は「クラヴィエの聖母」と呼ばれています。クラヴィエの教会からここに移されたためです。彫像は教会の内陣の窓の中に安置されていますが、これは保安のための工夫なのでしょう。木彫の聖母子像は盗難の被害に遭うことが多いのです。ヴェールと衣のドレープのラインが美しい彫像で、聖母の毅然とした表情が印象的です。
7.サント・マリー・ド・シャーズの聖母子像
オーヴェルニュを流れるアリエ川の岸に聖母に捧げる小さなロマネスク教会が孤立しています。サント・マリー・ド・シャーズの教会です。この教会にあったロマネスクの聖母子像は今では近くのサン・ジュリアン・ド・シャーズの教会に保存されています。その聖母の特徴は若々しさにあります。短い髪を後ろで束ねたこのマリアは村の乙女そのもので、表情には心に秘めた強い意志が見て取れます。
8.ソーグの聖母子像
サンティヤゴ巡礼のル・ピュイの道がジェヴォーダンの高原にかかるあたり。巡礼で賑わうソーグの町のサン・メダール教会に、一体の聖母子像があります。ゴシック化された教会の祭室に保存されたその彫像もまた、若い母親であるマリアを巧みに表現しています。美しいヴェールに囲まれたその面差しには神の母としての決意が感じられます。美しいだけではないロマネスクの聖母の魅力に溢れています。
9.メイマックの聖母子像
オーヴェルニュとリムーザンの境界に位置するメイマックのサン・タンドレ教会に、強烈な印象を残す聖母子像があります。その名は「エジプト女」です。肌の色は真っ黒で、頭にはイスラム風のターバンを巻いています。誰もがアラブ人の母親をイメージしますが、これもまた聖母子なのです。最初は黒くなかったのかもしれませんが、蝋燭の煤で肌は黒くなり、修復時にも前の状態を再現するため黒く塗られたのでしょう。
10.ドーレの「ベロックの聖母」
ルシヨンの西端、スペイン近くのピレネー山中の村ドーレ。そこにあるサント・マリー教会に不思議な力を秘めた聖母子像があります。もとはさらに高い場所にあるベロックの教会にあった彫像ですが、保存と管理のためにここに移されました。直線的に刻まれたプリミティヴな力強さを持つ作風に特徴があり、オーヴェルニュのやさしい聖母とは表現が異なります。円空仏を想わせる素朴な聖母子像です。
いかがでしたでしょうか。次回も是非ご覧ください。